君なくて、
01.
見つめても、返されることのない視線。
それでも気付けば追いかけていた。
けして交わることなどないと知りながら。
父が死んだ。詳細は聞かなかった。静かな最期ではなかっただろう。弔ってくれる人間がいるだけでも幸せなことだ――そんな生き方をしてきた人だった。
奥澤家は戦国の世から「御庭番」として生きてきた一族だ。「裏世界」というものはけしてなくならない。事実、戦後「平和」と謳われているこの日本でも、奥澤を必要とする家は存在する。
父は奥澤家、第十六の当主であった。だが死人となってしまった瞬間、全てを失う。葬儀が済むと新当主が決まり、すぐに過去の人となり、忘れ去られていく。奥澤の家に生きるとはそういうことだ。
奥澤は血を重んじない。力を持ったものが当主の座に就く。父の後を継いだのは、歴代最強と謳われている男――向井陽芽だった。彼が奥澤の名を継承し新しい時代が始まる。
前当主の一人娘である私は、世代交代とともにこの家を去らなければならない。それでよかった。何の問題もない。はずだった。けれど。
「もうじきお見えになります。当主様は襲名されたばかりでお忙しくて……」
父の生前から奥澤に仕えていた給仕、時見が申し訳なさそうに告げた。時見は義理堅い男だ。先代の愛娘を待たせることに心苦しさを感じているのだろう。その優しさが、この世界では命取りになる。けれど、殺伐とした奥澤の家で、時見の存在は救いだった。
それから半刻ほどが過ぎただろうか。ようやく、私を呼び出した本人の登場に緊張した。足音もなく歩くのは職業病だ。気配なく現れて私の正面に座り胡坐をかいた。こんな風に向き合うのはいつ以来だろう。精悍な顔立ち。眼光が鋭いのを隠すためか前髪は長めだ。少しだけ疲れて見える。無理もない。父の死は唐突過ぎたし、男は奥澤を継ぐには若すぎた。内外問わず敵が多い。それを鎮圧するために動かなければならない。休む暇などあるはずがない。
「今日来ていただいたのは他でもない」
挨拶もなく本題に入る。私とは世間話もしたくないのだろうか。もっともこの男の口から他愛のない言葉を告げられても反応に困る。余計な言葉がない方がありがたかった。
「入江家との婚儀の件。これ以上の話はない。朱乃さんが心を決めてくだされば、先代の代わりに、最高の花嫁として準備をしてさしあげられるでしょう」
やはりその話か。
入江家は旧華族で、奥澤との繋がりが深い家だ。その入江家の次男・史孝が私を見染め、婚儀を申し込んできたのは三ヶ月前のことだった。私は断ったが、奥澤と入江の繋がりを考えると父も無下には出来ずに曖昧なまま伸ばし伸ばしになっていた。入江家に私が嫁げば、陽芽の強力な後ろ盾になる。婚儀を強く薦めるのは道理だ。けれど、
「私は――陽芽様をお慕い申し上げておりました」
自分でも驚くほどあっさりと口にできた。永遠に言うつもりはなかったが、想いを伝えるぐらいなら罰は当たらないだろうと思った。男は眉ひとつ動かさなかった。
「ほう……ならば、朱乃さん。あなたに出来ることがあるはずだ」
予想通り。意にも介さない。父が生きていたときならまだしも、なんの力もないお前に興味はない。私を好きだというのならば、私のために嫁げ。暗にそうほのめかしてくる男を憎むことが出来たのならよかったのに。
「わかりました。ただし、条件が。父の喪が明けるまでお待ちいただけるのならば」
愛しい男は満足げにうなずいた。
2009/9/8
2009/10/12 加筆修正
2010/2/20 加筆修正
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